文を敲く

読書記録とその他雑記。

駄文についてのメモ書き

ある時期まで私はたびたび駄文を書いていた。駄文とは簡単に説明すればくだらない文章;あなたが今読まれているようなものを指す。しかし私は駄文は書けても「文章」を書くことが苦手だ。なぜか。他人に読まれる可能性が高い「文章」には一定の様式:結論から書く、端的に書く、接続詞を多用せずに書く、云々といったものがあり、この様式を守らなければならないと考えるあまり何も書けなくなってしまうのである。

加えて他人に伝えたいことが無ければ「文章」を書けない。伝えたいことがあったとしても、利害やら損得やらを意識して書き竦むのだ。そして無難で当たり障りのない事しか書けない;書いていてつまらない。何か一つネタがあれば、散漫であっても許される駄文が好きだ。しかしネタが浮かばなければ何も書けない。

駄文や駄文に類するもの:テキストサイトライトノベルの「あとがき」、コピペ、ブコメそしてつぶやきといったものを読むことも好きだ。何らかの目的意識を持たなければ駄文からは何も得られることは無い。ただの暇つぶしと一瞬の快楽にしかならない。駄文は効き目の弱い麻薬なのかもしれない。しかし確実に依存度は高まる。今この瞬間もどこかでとびきり面白い駄文があるのではないかと探さずにはいられないのだ。