文を敲く

読書記録とその他雑記。

大衆とヤンキー

一時期ヤンキー論が話題になっていたが、よくよく考えるとヤンキーは近年存在感が薄い「大衆」に近い存在なのではないだろうか。少なくとも知識人の対極に位置するという点では共通している。では大衆とヤンキーは何が違うのだろうか。

まずは大衆が付く言葉で作文を作ってみた。「大衆」のステレオタイプが浮かび上がると考えたからだ。「週刊大衆を読みながら大衆食堂で昼食を済ませて大衆車に乗って劇場へ向かい大衆演劇で涙を流し大衆酒場に行く前に大衆薬を買う」――大衆とつくものはどれも昭和中期で時間が止まってしまっているような気がする。昭和後期、セゾン文化が花開く1980年代には若者にとって大衆は「ダサい」ものになり、大衆文化の刷新が行われなかったためだと思われる。

ヤンキーは仲間に一目置かれたい(他人指向)から自分自身の差別化(記号消費)に貪欲だ。まさに高度消費社会の住民だといえる。大衆はあくまで大衆消費社会の住民であって高度消費社会の住民ではない。大衆の進化系がヤンキー、なのかもしれない。