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20世紀の住民としてのドラえもん - ひみつ道具・考

ROBOT魂 ドラえもん
ドラえもんが暮らす世界は20世紀後半の日本であり、決して21世紀の日本ではないことは衆目の一致するところだ。今の日本には土管のある空き地もなければ短パンをはく小学生もいない。だからこそ「STAND BY ME ドラえもん」のようなALWAYS 三丁目の夕日」の二番煎じ郷愁を誘う映画が公開されるのである。

ひみつ道具は「モノによって豊かで便利な暮らしが実現される」という高度経済成長期に夢想された近未来の象徴だ。そのため22世紀の技術はすべてモノとして表象されている。「もしもボックス」や「タイムふろしき」のように身近なモノもすべて究極の進化を遂げていくと信じられていた。

しかし、20世紀も終わりに近づくにつれて、便利なものは次々に生まれるがモノ溢れに振り回されるようになる。「あれでもない、これでもない」と必要な道具を四次元ポケットから取り出せず、ガラクタばかりを取り出してしまうドラえもんのように。

もし、ドラえもんの舞台設定を2014年に移し変えたらどうなるか。ドラえもんが「ひみつ道具」を出すことは無いだろう。泣きじゃくり助けを乞うのび太に差し出すのは未来アプリストアからダウンロードした「ひみつアプリ」になるはずだ。

「どこでもドア」の代わりに「瞬間移動アプリ」、「アンキパン」の代わりに「アンキアプリ」、そして「地球破壊爆弾」の代わりに「地球破壊アプリ」といった具合に。残念ながら絵的には何の面白みも無くなってしまう。